1日1日を大事に

3月25日に叔父が88歳で亡くなり29日に葬儀でした。

携帯の着信履歴のあった友人(高校の同級生)に電話をすると孝子さんが洗濯干し場で倒れてそれっきりになってしまったとのこと。1月末に和彦さん(同級生)が亡くなったばかりなのに…まだ70歳なのに、悲しい。

そんな中、今日は姉妹3人で実家に行ってきました。17回目になる母の祥月命日なのでお墓参りをし、3月26日で満94歳を迎えた父に心ばかりの誕生祝をと、一緒に食事をして来ました。父はお寺の階段を手すりも使わずに登るし、耳は遠いけれど、頭もしっかりしていて、話もきちんとし、外見も私のまわりにいる父の同世代の人と比べてもはるかに若くみえます。そんな父が「長生きし過ぎた。自分より年下の兄弟や息子たちが先に逝ってしまった。話の連れになる近所の人らも皆死んでしまった。自分の事は出来るだけ自分でやって、迷惑かけない様に生きるしかない」としみじみというのです。高齢社会が進むと父のような体験をし、父のような思いをもって生きている人もたくさんいるのだろう、と切なくなりました。そして孝子さんのように、70歳になったばかりで、まだまだやりたい事もイッパイあったろうに…自分では決める事の出来ない寿命、だから思い残すことのないよう1日、1日精一杯生きる事を決心しました。また父の言葉から響いて来たもの「自分の事は出来るだけ自分でやって、迷惑かけない様に生きるしかない」は多かれ少なかれもみの木の仲間達にもある感情と思うので、これからはこのことも心に置き仲間達に接していきたいと決心しました。